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~データ分析の根本的な問題 モデルに対するテスト Pencavel 続き ~ 20180912

Jevons(1888)がこの問題に関して、はっきりと述べたという事実はあるが、制約条件付き効用最大化問題が働供給曲線の賃金に対する傾きについて明示的に何かを示すわけではないという主張はRobin(1930)の功績である。(Jevons 生産と労働の関係性を環境が変化させると仮定すると、労働量に対してどんな効果があるのか?考えられる効果は2つである。労働力として、より多くの商品を生産するとき、より多くの賞賛が得られ、より多くの労働への誘引が生まれる。ある労働者が1時間あたり6ペニーではなく、9ペニー稼ぐならば、その増加した結果によって労働時間を引き延ばそうとしない可能性があるのだろうか?これが前回以上の半分得るという事実が、追加分に対しての効用を引き下げる、というケースではないことは明らかだ。同じ労働時間であることによって、彼はより完璧に、欲望を満たすことができる。労働の鬱憤が最高潮に達すると、何かを消費したい欲求による喜びよりも労働を少し休むことによる喜びの方が大きいかもしれない。このクエスチョンはより多くの財からの効用と長引く労働の苦痛の間の均衡が変化すること、その方向に依拠する。効用と労働の関数の正確な形式を無視してしまえば、これまでの方法でこのクエスチョンに答えることは不可能であろう。) 効用関数の形式に対する知識が何もない状態で、その点を指摘したのち、労働供給曲線の傾きを描くことは不可能である。そしてJevonsは財の価格の急激な上昇はより大きな労働時間を誘発する事例を進んで実証し、実際は労働供給は賃金に対して負の傾きを持つ、と推量した。労働供給曲線の賃金スロープを調査した最初の実証的な試みはPaul Dougla’s “Theory of Wages” (1934)である(FrainやTeperなども20s後半から30s前半にかけて、簡単に研究を行なっている)。参考にしているデータは1920年国勢調査であり第一章に記載がある。38のアメリカの都市における年齢-性別の各グループに対して、人口に対する雇用比率を製造業における年間実質収益に回帰した。外国で生まれたものあるいは黒人に関しては固定した。男性の全ての年齢のグループに対して、負の相関が見られた。有意にこの関係性が0とは異なることが示されたのは、非常に若い層と年齢が高い層だけであった。 別の章では、タイムシリーズ、クロスセクション(産業、州毎)の労働時間、時間あたり収入に関するデータの調査を行なっている。これらの調査から賃金に対する労働供給の価格弾力性はおおよそ-0.1から-0.2の間である、と結論づけた。データと、インペディングインファレンスプロブレムの注意深い取り扱いによって、ダグラスの論文は傑出している。Theory of Wage 以降の労働力participationの画期的な発見は、以下である。

近年の労働供給に関する研究は代替効果と所得効果の測定を注意深く分離することに特徴がある。それらはMincer(1962)の結婚している女性の労働力率の論文とKoster(1966)の男性の労働時間に関する時間の博士論文に遡る。1960年代中盤のコンピュータテクノロジーの進展、特に効率的な磁気テープによるストアリングの発達、個人情報の処理、これらのデータに多変量統計分析手法を応用する費用の大幅な減少は労働供給の実証研究が大きく広まるという結果になった。この論文は既に数多くある良質なサーベイを主題としている。これらの論文は経済学の研究であると捉えられることが多い。この調査は経済学者が記述してきたのと同じように、少し変化した形でトピック、知識として継続されている。このようなわけで私は、重要な部分を行うのである。第二章では、男性のlabor force participation, 労働時間のメジャーな実証的な規則性の簡単なステートメントを行う。これらのトピックや他のトピックに関しても経済学者は説明しようとするはずであるし、経済学が数学の応用分野ではなく、実際にscienceと言えるならば、エビデンスが伴う理論に直面しなければならない。明らかになる部分が多くなるにつれて、男性の労働供給に関する多くの実証研究がある。その多くの研究が新古典派経済学の配分理論に基づいている。実際にここ20年間の労働供給の調査に関する喜ばしい一面は、注意深く理論を実証してきたという点である。同時に実証研究の多くが慣習的なモデルの有効性に関して、疑問を投げかけてこなかった。これらのモデルは主張されてきた仮説として扱われる。これまでの実証研究は仮定された関係性の規模を数値化することに注力してきた。このような数量化はどんな科学でも、本質的に重要な材料である。しかし多くの実験科学における数量化に関する精錬された試みは仮説検定に先行するのではなく、後に続く調査の段階を表す。男性の労働供給の論文においては、標準的なモデルのテストがほとんど実行されていない。労働供給に関する調査は理論なしの測定では、何も示されない。しかしテストなしの測定とされている。その理論が間違っていない保証などどこにもない。よく問われることであるし、少なくとも大半の経済学者は究極的に経済理論の示唆するところや仮定は現実の行動に一致していなければならないということを認めている。ではなぜ標準的なモデルのチェックがされていないのか。

私は理論がrejectされないのは、代替的なものが目に見える形で現れていないからという事実によると考えることには疑問を感じる。これは社会科学において、しばしば発生する対処しなければならない問題である。しかしそれでも我々は別の、行動ベースの仮説が利用可能になるまで理論をテストしようとしない。